百名山を考える
2011-05-04


明日から仕事で、GW最後の1日だと云うのに、一昨日からの風邪がまだ治りきらずに、山どころか外にでることも覚束ず、布団の中で、ぼんやりと、次の山のことを考えていた。

 深田久弥氏の「日本百名山」が刊行されたのが昭和39年7月と云うから、半世紀に近い時代を、読み継がれてきて、未だに、「百名山」完登を目指す山ヤさんは少なくない。
 私も、山で出会った方々が、「百名山はどれだけ登った」などと話している(自慢し合っている?)のを、何度となく耳にしてきた。
 あろうことか(!?)、ウチの奥さんまで「百名山信仰」に取り憑かれて、「こないだ登ったのは百名山?」とか「今度は、(百名山の)どこどこにしない」とか、やたらと「百名山」を気にしている。

 おぉ、なんてこったぁ・・・

 世の中には「(深田久弥の)百名山を登る会」のような団体が、未だに、あちこちで、百名山登山に熱を上げているようで、こうした連中の中には、「百名山に登っていない」ことを見下すような輩も少なくないようだが、私から見れば、こんなのは本当の山好きとは思えない。
 深田久弥氏と云う先人が辿った道を、ただ単に後追いしているだけにしか、私には見えない。
 
 「日本百名山」以来、いろんな形で、「○○名山」が誕生している。
 「200名山」「300名山」と数を揃えたもの、「関東100名山」とか「アルプス100名山」などと地域毎に100名山を選抜したもの、私もよく行く三頭山は「山梨100山」に数えられているが、こんな風に、あちこちで「○○名山」を決め始めると、その内、国内の殆どの山が「名山」になってしまうのではなかろうか?
(ちなみに、三省堂が出版している「コンサイス日本山名辞典」には、国土地理院発行の20万分の1地形図をもとにした約13,000の山名、峠名が収録されているが、もし、47都道府県で100名山を選ぶと、実に、その1/3以上が「名山」の栄冠を受けることになる。何とも、安っぽい栄冠ではないか!?)

−百の頂きに、百の喜びあり−

 深田久弥氏の残した名言は、決して自らが記した「百名山」を意識したものではない。

「どの山にも、それぞれ、楽しみがあり喜びがある」

 「日本百名山」は、たまたま、深田久弥氏が、氏の感性で選んだだけのものに過ぎず、そう考えれば、「日本百名山」をあたかもバイブルのようにし、「日本百名山」に固執するのは、何と愚かなことであろうか?

 私は、この「日本百名山信仰」に、ある意味、日本人らしさを感じもする。
 もちろん、良い意味では、決してない。

 「百名山」は自分で決めるものである。
 深田久弥氏が決めたものでも、地域の観光協会が決めたものでもない。
 自分の足で歩いて、自分の目で見て、耳で聞いて、山肌に触れて・・・
 そうやって選んだ百名山こそが、本当の百名山なのだと思う。

 風邪が治ったら、今度は、どこ行こうかな?

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